3日前、10年間使い続けたミシンが寿命を迎え、動かなくなりました。
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沢山この10年間で私や家族の洋服・小物・日用品…様々なものをミシンを通して生み出してきました。私にとっては相棒のようなもので、なくてはならない存在でした。
ミシンの下糸の水平釜の部分が完全に壊れてしまい…本当にショックでした。動かなくなったミシンを見ながら、子供に作ってあげたズボンやスカート…思い出がたくさん。上の息子の幼稚園の入園時に作ったバックは、先日息子が小学校の卒業まで8年間使ってくれました。
色々な想いが込み上げましたが、物を使って最期を迎える充実感というのはこういうことだなぁ…と改めて実感しました。
悲しいし、寂しいという想いと、十分に向き合った充実感。上手に言葉にはできませんが、そういうことを感じ合える付き合いができたことは、とても幸せなことだと思います。感動に近い感情でしょうか。
反面、使わないものや、購入はしたものの使い勝手が悪くて手放してしまったものに対しては申し訳ない罪悪感と、「私には必要ないものだと教わった授業料」と、感謝の気持ちを持ちつつも、どこか割り切ったドライな感情とが入り混じります。
物の少ない生活というのは、自分の必要なものに手で触れ、肌で感じ、同じ時を過ごす充実感。物が少ないからこそ、様々な沢山のものを得られるということなのかな?と感じる今日この頃です。