時間を止めることはできませんが『空間』は止まります。
先日、連休中に久しぶりに友人に会いました。『連休何もないから、ご飯食べよう』というお誘いで友人数名との友人Aの家へ遊びに行きました。
友人Aの自宅は10年間彼女と同棲していましたが、半年前にお別れし、今では彼一人が住んでいます。自宅を訪問して、驚いたことは半年前に別れた彼女の私物がそのままの状態で,彼女と過ごした生活の空間がそのままの状態で止まっていました。
彼は彼女には未練があり、自宅に帰ると、まだ彼女がそこに佇んでいるような気配すら感じる状態です。
小さなケンカやすれ違いで、部屋の荷物をそのままで出て行ってしまった彼女。一緒に過ごした空間は、そのままの状態で止まってしまっていました。
物を捨てる行為は、色々な意味がそこにあるのだと思います。
今回の例ですと『過去に決着をつける』『関係をおしまいにする』『しまいにする』…片づけを通して、過去の清算、気持ちの整理を考える上では一番分かりやすい例ではないでしょうか。
友人Aにとっても彼女にとっても『物を捨てる』ということが、新しい生活への扉であり、過去への清算を意味することは間違いないのかなぁ…と感じました。お互いにお別れする一つの儀式。
それまでの暮らしのモノがなくなることで、その暮らしが『終わった』と認識する終わりの儀式。
今回のお話は半分フィクションの部分とリアルが混ざっています。連休中に訪問した知人の家で『物を残して家を出る』というケースに直面しましたので、シュチュエーションを変えて記事にしました。
記憶や時間は止められませんが『空間』はその時間で止まってしまうんだなぁ…と。それが良い思い出にしても、悲しい思い出にしても『空間』が止まってしまうということは、そこで人の気持ちも止まってしまうのか。空間だけでも止めておきたい…というその人の切なる想いのようなものを、モノを通して感じました。
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