最初に「手放す」大切なモノがあります。
家族持ちでミニマリスト生活だと、「家族を支配管理しているのでは?」と誤解を招くかと思います。むしろ、我が家は「家族を支配管理しないためにモノを手放した」という状態です。
我が家の子供達はお片付けが苦手。夫の家系もお片付けは苦手…そうなってきますと、必然的に家族が散らかしたモノを日々私が片づけることに追われます。私自身にも負担が大きい。家族に対しても不平不満が募る…。
「どうして片づけてくれないの?」
「どうして出来ないの?」
「どうして変わってくれないの?」
そんな気持ちがグラグラ胸の中に渦巻きます。私がモノを持たないライフスタイルを過ごす中で、一番最初に手放したモノは
「相手を変えたい」という自分の気持ち
でした。相手に対して責める言葉を、そのまま自分へ返したとき…自分はそれを受け入れることが出来る?まず相手へ向ける前に、自分へ向けます。私は料理が苦手ですが、そのことに関して家族から毎日責め続けられると、本当に気持ちが沈みます。
それは子供でも大人でも同じで、朝から晩まで自分の苦手とすることや、出来ないことを「どうしてできないの?!」と責められ続けると、何だか人格まで否定されている気持ちがしてきます。私自身も責められたくありませんし、相手を責めたいとも思いません。じゃあ、責めないためにはどうしたらいいの?
自分にできないことがあると同じように「相手にもできないことがある」
お互いにそれを尊重し合い、相手にできないことで自分にカバーできる部分はカバーし、自分にできないことは相手にカバーしてもらう…それで良いと考えています。
家族の誰かに一方的に依存する関係性ではなく、お互いに苦手なことはフォローし合い、得意なこと・できることはやる…お互いが対等な「相互依存」という関係性です。
モノの量にしても、家族が100個のモノの管理ができないのなら「この人は何個なら自分で管理できるのか?」相手へ文句を言う前に、自分が相手を観察して相手を知る努力も必要です。相手へ「変われ」と言うのなら、私自身も相手を「知る」という努力を怠っていた部分を認める。そして怠っていた部分を、まず自分で自分に「変われ」と言う必要がある。
私自身が私自身に対して、棚上げしていたことを「棚卸し」しなければならないし、相手を「変えたい」という気持ちをまず「手放す」ことが先。
以前から、我が家には家族会議が存在することは触れていますが、家族会議には親子と言えど上下関係はありません。時には会議の場で、私が子供達から怒られることもあります。会議では一人一人が意見を持ちより発言します。
今の生活は家族を観察し、家族会議で提案し、お互いに意見を持ちより、何度も何度も…何年も何年も話し合った結果です。
変えられないモノを受け入れる謙虚さを。
変えられるモノは変えてゆく勇気を。
その二つを見極める知恵を。
上記は、神学者ラインホールド・ニーバーの「ニーバの祈り」という有名な言葉です。
まずは自身の「棚卸し」と「手放す」モノは手放す。それを繰り返すと、相手に「変われ」と責めることがどれだけ自分のエネルギーと相手のエネルギーを奪うこと、難しいことを求めているかを実感できます。
私の考える「ミニマリストとは?」というベースでもある、最初に「手放す」大切なモノですね。
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