病気のときは、ゆっくり休みたいですよね。
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今回「家事を家族全体で共有化したい」その一番の理由は、「病気になったとき、心から安心して休むことに集中できないことはダメだ。」と強く感じることが過去何度となくありました。
まだやれる。
まだ大丈夫。
と、無理を重ねてバターン!と倒れる。自分を客観的に見て自分をフォローすることを大切にしないと、結果、家族をフォローできなくなる。私は昨年6月に、原因不明の高熱で寝込んでしまい(涙)これはもう少し「自分を労わる」以前に、「自分を助ける」ことに視点を置かなければダメだなあ…と痛感しました。
私が普段回している家事を家族にお願いすると、食器がとても割れました(笑)モノはいつかは壊れるモノなので、壊れたら買い直せば良いのですが、「また割っちゃった…ごめんなさい。」と、悲しい顔を見るのは辛かったです。
本来なら病み上がり後も無理をせず、心と体もゆっくりとしたペースで休むことが必要です。しかし、普段やり慣れない家事に、家族も苦しい顔をしている様子を目の当たりにしてしまうと、休むことを放り出して「やらなきゃ、やらなきゃ…」と、布団から起き上がっての、チョコチョコ家事。
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少しの間なら「もう、仕方がない!今は部屋が汚れてよし!」と割り切るのですが、長期間部屋が汚れる以上に家族全体が疲弊してゆく感じは、「仕方がない!」とは思えませんでした。起き上がっては、ちょこちょこ洗濯物を洗っては干していました。
第三者として客観的に見たときに、やっぱりそれは、とても不毛です。
そしてそれは何だか悲しい。
休むときは、休むことが何をおいても一番大切なこと。いい仕事をするためには、いい休みを。心から安心して休めない状況は「変えるべきもの」だと布団の中で熱に浮かされながら感じました。
モノが少ない生活で得た一番の収穫は「家事のしやすさ」
モノを片付ける手間と負担が減るだけでも、掃除がとてもしやすい。仕組みがシンプルであればあるほど家事は楽。家事全体の仕組みを「これならできるよ!」まで落とせば家族も負担じゃなくなる。
「手間の多い家事は家族もストレス」であり、夫も「たまに料理を作ることはOK! でも毎日は無理だよ。」というのも本音です。
- 手間
- 動線
- 判断
- 思考
- 時間
これらを削って、仕組みをシンプルにして「これならできる!」と言える家事。私だけが知っていて、私だけができる「私家事」から「家族家事」にシフトできるように暮らしを考えて工夫して、家族がもっと一つのチームになれたら…と、思います。
今年は年明け早々、周囲の友人・知人が病気で倒れたり亡くなったりとが立て続いたことも考えるキッカケにはなりましたね。40代になるというのも一つの節目ですね。
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