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【読書】ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」

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 大分県在住、ライフオーガナイザー® / ミニマリストのやまぐちせいこです。

今週はアルジャーノンに花束を紹介したいと思います。 もう、有名過ぎて語ることがないこの本ですが、読んだことがないよ…という方にはぜひ!読んでいただきたい一冊です。


 

 

 目次

 

主なあらすじ

知的障害を抱えた主人公、周囲とも良い関係が築けていましたが「頭が良くなれば、もっとできる仕事が増えるのに…。」と感じていたところ、頭が良くなる手術を人体実験のサンプルとして受けることになります。手術後、知能に劇的な変化が起き「これで自分は幸せになれる!」と感じていた主人公ですが、その先の周囲の変化と自分の変化と物語は進みます。

 

能力とは?幸福とは?

私は数年前にこの本を読みましたが「幸福とは?」「能力とは?」と考えました。例えば、私が水原希子さんのような容姿でスタイリッシュに白シャツとGパンを着こなし、「ミニマリスト」として世に出ていたら、また違ったかもしれません(笑)

残念ながら能力としての「容姿」があまりありませんので、人生においても「もっと美人だったら、また違う幸福だったのかな〜?」なんて妄想にふけることも。しかし、周囲の際立つほどの美人さんにお話を聞くと、ご苦労もあるようです。

 

わかる苦しさ わからない苦しさ

我が家には発達障害を抱えた娘がいます。

感情や状況を読む能力として凸凹があるぶん「わからない苦しさ」を娘を見ていて感じるところはあります。しかし、全部が全部わからないわけではないので「分かるからこそ、苦しい。」も目にします。空気が読めないことで周囲とのコミュニケーションにおいて機能不全が起き、「苦しい。」と感じる。

しかしながら、おそらく発達障害の中でも過敏。視覚優位など、人の目線など「読め過ぎてしまう。」読め過ぎてしまい、苦しい。そういう方もいらっしゃるのでは?と思います。

 

アルジャーノンに花束を」の作中でも、主人公はそれまで周囲の人が自分に接する際の言葉の意味がよく分からず「親切にしてくれているんだ。」と感じていましたが、能力を増すにつれ、言葉の理解が進み「自分は侮辱されていたのだ。」と気がつきます。

 

しかし、言葉を理解する前は本人にとって、それなりに幸せな日々であったことは間違いありませんでした。周囲も本気で侮辱していたわけではなく、主人公の言葉の受け止め方が柔らかいモノだったので、日々の小さなストレス発散としての【からかい】だったようです。俗にいうイジリですが、主人公が「これは侮辱なんだ。」と分かることで、イジリではなくイジメへ認知が変わる。

 

自分をバカだと侮辱した人々を見返したい。

 

そう思い、溢れんばかりの知性を披露することで、周囲との関係も崩れていきます。精神的に幼かった主人公には周囲の心まで理解できませんでした。周囲のやっていたことは、もちろん良いことではありません。本人が分からないことを言い訳に甘えもあったでしょう。それまで笑顔で挨拶を交わしていた関係から、互いにギスギスする関係へと発展してゆき、主人公は孤独を感じます。

 

頭がよくなることで、もっと周囲に喜んでもらえる。

役に立つ人間になれるんだ。

そう信じていました。

 

しかし現実は、傷つき、苦しみ…「どうして以前より、不幸に感じるのか?」という問いは、幸せとは何か?と大きく問うものでした。

 

 

 

作者 ダニエル・キイス

当時社会問題の、イジメに対して「知能」や「能力」がそれに対抗しうるものではないのか?と作者キイスも考えたようです。しかしキイスは、知能や知識を追い求めることで、愛情を排除してしまうのではないのか?そう考えました。

 

愛情を与えたり受け入れたりする能力がなければ、知能というものは精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すらひきおこす。自己中心的な目的でそれ自体に吸収されて、それ自体に関与するだけの心、人間関係の排除へと向かう心というものは、暴力と苦痛にしかつながらない。

 

ということをこの作品のテーマに置いたようです。


 

 

分かる苦しさもあれば、分かる幸せもある。分からない苦しさがあれば、分からない幸せもある。

娘と一緒にとある教育機関へ行ったときの話です。13歳の娘ですが、幼児のように赤ちゃん言葉で職員の方から迎えられたことは、私は少しショックでした。私にとっては、13歳の一人の女性です。教育機関の方にとっての接し方として「柔らかい接し方」を求めると、幼児のような接し方になってしまう部分もあるかもしれません。一人の人間というより「何もできない障害者」というコミュニケーションに、娘の「個」の部分が透明人間のようになってしまったような気がして、悲しい気持ちになりました。

 しかし、娘は「優しい人だったね。」と感想を漏らしていたので、

 

 

私がどう感じるのではなく、娘がどう感じるのか?

 

 

娘にとって、どうなのか?発達障害を抱え、周囲にそれが理解が無いと、侮辱されることもあるようです。それを思うと、娘の「優しい人たちだったね。」という感想は、正解なのかもしれないし。それも大切なことでしょう。私にとっては、未だに何だか答えの無いことで。そして、答えは無くても良いことかもしれないし。

 

 

境界線

多分、このモヤモヤ感を言葉で表現すると 

  • 障害の「特性」の部分は理解が必要。
  • 障害はあるけれど、何もできないわけではない。 

この二つがゴチャゴチャになってしまい、境界線が区別できていないのでは?と感じるところです。「障害がある」ことは事実ですし、その特性は理解が必要。例えるとしたら、

 

私は視力が近眼のせいで裸眼では視界の焦点が合いません。メガネが必要です。メガネを掛ければ、他の人と見え方は何ら変わりません。

 

「やまぐちさんは目が見えないから、盲導犬と杖を用意しました!」

「いや、メガネさえあれば十分なのです…。」

 

ぐらいな感覚です。

 

目が見えにくいと、目が見えないとでは少し違います。

 

私個人が何に困っていて、その困りにはメガネが必要なことは事実です。しかし、「盲導犬と松葉杖」は必要ありません。用意が必要なモノはメガネで十分なのです。0か100で私個人の困り「個」を消し去られてしまうと、透明人間になってしまったような気がするのです。多分、そこにモヤっと感を感じるのでしょう。

 

 

 

視点を変える

そして視点をまた一つ変えると、教育機関の方は「今日出会った、やまぐちさんの娘さん」のことを何も知りません。何も知らないからこそ、「何に困っているのか?」「何が必要なのか?」という情報は相手にとってはゼロです。

 

そこに「娘は赤ちゃんじゃない!」と怒りを露わにすることは、相手へ対し想像力の欠如です。相手にとっても「支援する上で何が必要なのか?」を探る時間は大切なのだと言えるでしょう。相手も分からないことに対して、自分も相手のことが分からないのだと謙虚に受け取る大切さを考えるところです。

 

実際、その後その施設を利用し始め、数ヶ月が経ちました。

 

「今日、こんなに楽しかったよ!」

 

と、娘からの言葉を聞くと、私自身のバイアス(先入観としての偏り)を大きく反省しました。

 

人は自分を映す鏡の一部

そして、娘に対して、発達障害という診断名に対して、私自身が心のどこかで

 

「一人の人間というより

【何もできない障害者】というレッテルを貼ってみていないか?」

 

という指摘を自分自身にも投げてみました。相手というより、私自身。心のどこかでそういう視点で考えている部分もあるから、そう見える。感じる。「他人への嫌悪は、自分の中にこそある」とも思います。恥じると同時に、自分の泥臭い人間的な部分にも触れました。

 

愛情を受け取る能力・愛情を伝える能力

作品への一つの視点として、愛情を与えたり受け入れたりする能力の欠如の指摘です。たとえると、上記の「赤ちゃん言葉」という言葉使いの問題では無く、愛のある・なしの方が重要です。

違う視点で考えると、娘にはシッカリ愛情を読み取る能力があり「優しい人たちだったね。」という言葉に繋がるのかもしれません。そして「愛」という視点に欠けているのは、私の方かもしれません。娘へ対して愛情を持つように、支援する立場の方へ愛情を持って接する…。

 優しさや愛情。シンプルであるけれども、日々忘れがちなことなのかもしれません。 

 

 愛情を受け取る能力や伝える能力について考えてしまいました。他人に指摘するより、自分自身で省みると、なかなか奥深いですし、一つの現象も違う視点で考えると180度違うモノへ変わります。

 

想いを巡らせる幸せ

節々で「アルジャーノンに花束を」のワンシーンを思い出す日々です。そこに答えはないのですが。答えのないこと、自分とは違う誰かにとっての答え…。白か黒ではない、人間としての部分に想いを巡らせる時間は、モヤモヤもしますが「愛とはなんぞや?」と考えることも豊かな時間ではないかと思います。

ちなみに本タイトルのアルジャーノンとは、作中出てくるネズミの名前です。興味のある方は、文庫版も出ていますし、ドラマ化もされましたのでオススメです。

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