人間関係の断捨離というシリーズで週に1回記事を書いていますが、『親子についてはどうなの?』という質問を受けました。今回は親子がテーマです。
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親子の関係を断ってもいいですか?
とあるA男さんのお話です。親子の縁を切ったことへの葛藤として話を聞かせてくれました。
『母のことは、僕も嫁も尊敬していました。
ただ、母の過干渉と支配。
これ以上そばにいては病気になってしまうと思い、
縁を切ることになりました。』
祖母の世話に追われ、忙しくていた母でしたが、
キッカケは同居していた祖母が亡くなったあたりから変化が起きました。
『私の言うことに従うようにしなさい。』
と、癇癪を起す場面が増え。
父も自分が大黒柱だからという自負から、母への態度は支配的であり。母のその怒りや悲しみがどこかにあった気がしました。
支配的な母。
最初は、母なりに僕たちへの気遣いだと思っていましたが、
「ああしなさい。」
「こうしなさい。」
「周囲の人から見たらどう思うか?」
「私の面目を潰さないで」
母の言う通りにすればするほど、要求が度を超え。僕だけでなく、嫁や子供たちに指示や支配する場面が増え我慢の限界。母との関係を改善しようと話し合いを重ねた中での言葉が引き金に。
母の支配したい理由
『私はずっと、
上の世代の人たちへ迎合(自分の考えを曲げて従うこと)してきたの。
だから、今度は私の番。
そうじゃないと、
私が我慢してきた何十年という長い時間は何だったの?
私の人生は何だったの?
全部損じゃない。
これまで上の世代がやってきたこと。
私たちが上の世代にされてきたこと。
今度は私たちが上の世代と同じように好きにする番。
だから、あなた達も私に媚びなさい。
私に媚びない子供も嫁も孫もいらない。』
この一言が決定打となり。
僕たち家族は「これ以上母のそばにいては、病気になってしまう…」と、親子の縁を切ることを決意しました。
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立場の弱いモノが弱いモノを叩く
親子という立場でいうと「親 > 子」という力関係になりがちです。本来親子であっても立場は平等なのですが、儒教の『年上を敬う』という部分。敬うことと、支配することは別問題です。
弱いもの達が夕暮れ さらに弱いものをたたく
その音が響き渡れば ブルースは加速して行く
見えない自由が欲しくて
見えない銃で撃ちまくる
本当の声を聞かせておくれよ
引用元:ブルーハーツ「トレイン トレイン」
この歌の中にヒントがある気がしますが、弱い者が弱い者を叩く。
本当の声を聞かせておくれよ…という一文に、A男さんのお母さまの幸せは
「自分に媚びる子供や家族に囲まれること」
だったのでしょうか?
息子さん家族が離れたことで
「私の人生は何だったのか?」
という問いに対して答えが出たのか…
色々な疑問や寂しさが残る話でした。
幸せとは何か?という問いのようにも思いますが、誰が正しく誰が間違いとは言えません。自分の幸せは自分の中にしかないのですから。
実は殺人事件の5割以上が家族間
法務省のデータによると、殺人の5割強が家族間によるものです。
画像引用元 法務省HP
殺人の動機として、平成20年ごろから『介護疲れ(黄色)』『子育ての悩み(オレンジ)』という項目が追加されました。
それ以前のデータとして『服従迎合』という「服従することの強要(自分の考えを曲げででも従うこと)」が上がっています。(法務省データより)
事件が起こる前に親子でも離れることが重要
ただ、親子であっても、殺人事件の動機の1位は「憤怒(怒り)」です。
事件が起こる前に勇気をもって離れること。
これも重要ではないかと思います。
自分の弱さを受け止めることも立派な強さです。
「親子だから」ではなく、
「親子だからこそ危ない」
という視点もまた人間関係を整理する上で大切なのではないかと感じます。
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