私の持論の1つですが「片づけよう、片づけようとするほど、片付かなくなる。」という片付けのパラドックスがあります。
家を片付けたがゆえに…
今年は「家1軒丸ごと片づけたいです!」というご依頼を数件いただき、嬉しいことに関わらせていただきました。それまで手放せなかった洋服を車1台分、ドーンと手放された方…色々でした。
半年前後時間をかけ、5月で皆さんある程度の目途がつき、
「わ~!あの散らかった我が家が、
ここまで片付くなんて思っていませんでした。」
と、言っていただき。片付いた部屋をみながらお互いに
「片付け頑張りましたよね!」
と、少しの疲労と満ち足りた気持ちになっていました。
しかし、ふと目線を違う場所へ向けると…。「不用品になってしまったモノ」が部屋の片隅で山にやっています。
不用になった、数々の収納用品
部屋を片付け、空間に適した収納用品を設置したことで、それまで使っていた
- 自分に合っていない使いにくい収納用品
- とりあえずで買った収納用品
- 便利そう!と買ったけど使っていない収納用品
など。
客観的にみて、明らかにもう不用。なぜなら、すでに各部屋に適した収納用品は納めているからです。そして、どこで使う予定もない収納用品が、ゴッソリと山になっています。
不用品を保管することで起こること
それまで、色々な物を手放してきても最後の最後でまた
- もったいない
- 何かに使えるかも…
ここでまた迷うことで、使う予定の無い収納用品が「迷いの呼び水」になるのです。
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迷いの呼び水と決断の先延ばし
これまで迷った末に決断や選択を放置してきたことが、結果自分の暮らしや人生に悪影響を及ぼしているのであれば、迷いの呼び水を残すことは、決断の先延ばしをまた繰り返すということです。
片付けの決断疲れ
この現象は、私自身も一緒に作業する中で
「ここまで色々な物事を決断できたのに、
ここに来てまた同じことを繰り返しますか?」
と、思うことが多々あるのですが。
これはある種の「決断疲れ」が起きているのだな…と分析しました。
決断疲れとは
意思決定と心理学の分野において決断疲れ(判断疲れ、決断疲れ)とは、意思決定を長時間繰り返した後に個人の決定の質が低下する現象を指す。現在では不合理な意思決定の1つとして理解されている。
- もう、これ以上…難しいことを判断したくない。
- これまでの散らかった部屋の問題が、ほぼ解決しているのに、これ以上難しい選択をする必要がない。
と、いつもと同じ行動を選択するという状態に陥ったと予測が立ちました。
だからこそ、合理的に考えて欲しい
お片付けサポートへお伺いしたときは、私は「捨てろ」とは言いませんが、合理的な判断はしていただきたいので、
- これを放置することで、迷いの呼び水になること
- 短期的にみて問題ないかもしれないが、長期的に考えて深刻な問題を生む原因になること
これらを提示した上で、判断していただきます。
「収納用品は、最後の最後に買いましょう」という、数々の片付けのプロの方の金言が身に染みる。まだ使えるの罠。
「片づけよう」と思って買った収納用品を買えば買うほど、結果最後の最後で「もったいない」と余計なモノを増やす原因になる。
「あれを手放されたのに、ここで躓くのですか~???」
という場面に収納用品が案外多かったです。
案外、
「もったいない」
「まだ使える」
が、象徴的に発動したモノが収納用品でした。見事に片付けのパラドックスにハマる現象でした。そして、強敵だった収納用品(笑)
これまでの片付けの先人達が
「収納用品は、最後の最後に買いましょう。」
という言葉が毛穴の奥まで身に染みました。
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