以前、別のブログで服を4枚に減らした記事を投稿した際に「囚人みたいな服ですね、女捨ててますね。」というコメントをいただきました。
ボーダーのお洋服が好きですので、ボーダー→囚人服…「ああ!なるほど!」と思い上手いことをコメントされるなぁ~っと関心しました。一つ気になったのは「女捨ててますね。」という言葉。
どう感じるのはその方の価値観なので、そう思われるのは仕方のないこと。洋服の枚数や種類が少なくなると女を捨てているという事は同意語?疑問を持ったので少し考えてみました。
女性的であることを簡単に表現するには、見えるモノへ依存している状態かもしれません。洋服以外に女性を意識することを考えると、立ち振る舞いや、仕草、言葉使いでも表現できるものごともあるのではないかと思います。
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ただ、私自身もそうなのですが立ち振る舞いに注意することより手軽に洋服など見える部分に依存することの方がはるかに楽でもあります。セクシャルマイノリティな方の立ち振る舞いや仕草は、戸籍上の女性より女性的でため息がでます。
スカートを男性が穿いて「俺って男らしい!」と思いにくいでしょう。洋服とは記号的役割としてジェンダーのアイデンティティを肯定しているのだと思います。
職業を役割を示すアイコン的役割や、自己表現や自己を鼓舞するための役割、イメージ戦略としての武器的役割…様々です。
洋服を減らすというのは自分で貼った記号を減らすことなのかもしれません。
「洋服とは?」と、考える機会をもらった、ある意味良いコメントだなぁ…と感心しました。最近耳にする「ノームコア」も本質的には記号からの脱出なのかもしれませんね。
<追記>
ノームコアについてもう少し詳しく調べましたら、ノームコアも種類がいくつかあるようで、「シンプルな服装」「周囲の人と調和して、個を主張しない 服装」「究極の普通」といった意味合いのノームコア。
普通という定義が何をもって普通か、何をもってノームコアか、何をもってミニマニストなのかに近いようで個人の価値観・解釈によって多種多様のようです。何にせよ、定義が曖昧なものは、その人解釈で「その人のもの」になります。そこに人生哲学のようなものがあって、楽しいですし、好きです。
ある意味、これも大阪の一番熱い「ノームコア」です(笑)