物を減らすと、暮らしが軽やかになる反面、やり過ぎは拒食症と似ています。
私自身も片付け歴は結婚生活と同じだけの年数の18年。買っては捨てて、また買って。
減らしていく中で、自分の趣味の物や思い出の物など。
捨てて平気だったのは、思い出の物でした。
振り返ると気持ちが昂るのは一瞬で、それ以降はまた何年も見返さない。
それ以上でも、それ以下でもありませんでした。
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一方、趣味のもの。
これも、案外大丈夫でした。子育てするなかで趣味に時間が割けないことと、趣味がブログという物を沢山持たなくても出来る趣味へ移ったこともありました。
しかし、それらを捨てていくなかで、
「一生懸命、これを買うために使った時間やお金が、結局今の自分にとって何だったんだろう・・・。」
そう思ったとき、心にポッカリ穴が開いて虚しくなったことを覚えています。
一日時間を使って、何軒もお店探し、買い物へ行った時間。
それらを買うためのお金を稼ぐために、働いた時間。
買ったものを整理収納するために、使った時間。
あんなに頑張った時間が、何も残らなかった。
子供が小さかった頃の貴重な時間をただただ無駄に過ごして、イライラしていたの?
目の前の誘惑に負けて、時間とお金を消費し続けていたのかと思うと、泣きそうになりました。結果、すべて意味のないものだったの?と、目の前の現実を思うと、
なんの意味もなかった。
ただただ虚無感に襲われました。
この虚無感の正体は「自己否定」
自分のやってきたこと、全てが否定されるようでした。
しかし、ぐるりと視点を変え、こうも考えました。
子供が小さく、転勤族で外に頼れる親や友人・知人も少ない中。
家の中で楽しめるハンドメイドやDIY。子育て以外に夢中になれた時間がちょうどいい気分転換になり、癒しになっていたからこそ、大変な時期を乗り切れたんじゃない?
幼稚園や小学校のバザー時期には、大活躍でした。
そのときに友人・知人もできました。
今もその時に一生懸命手を動かし、勉強した知識と情報は、頭と体に蓄積されています。物は形として残らなかったけれど、知識や経験はシッカリ残った。そこで出会った人の生き方をみて、学んだこともあった。
あの時間があったからこそ、今がある。
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結局のところ。
何を捨て、何を残すのか?
ああ、そっか。
物はたくさん捨てたけれど、その時の時間や感情や経験や知識は、
ちゃんと残っている。血となり肉になって生きている。
そういう物の残し方だってあっていい。
何も残らなかったわけじゃない。
物として残らなかっただけ。
無駄と全部切り捨てるのか、残すものごとを見極めるのか。
物事の一面だけ切り取ってしまえば、ただの無駄。自分のことを全否定することは、やはり悲しいことですし、他人に対しても悲しいことです。
物事を色々な視点で考えたい。いまも思い続けています。
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