お片付けサポートという仕事を今年は始めましたが、私自身はコミュ力低めの人間です(笑)片付けはコミュニケーションであるといっても過言ではありません。
そんなコミュニケーション能力が必要とされる対人支援を生業にするうえで私がとても注意を置いていることは、精神的な距離感です。
- つい「あんなこと言わなければ・・・」と、何を言ったかを考えがち
- ひとは、一人では「人」であり、人と人が対峙することで「間」が生まれ、人間になる
- 人間関係の地縛霊にならない
- 自分自身においても「間」がある。自分の間合いを知ることで、他者の間合いも知る。
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つい「あんなこと言わなければ・・・」と、何を言ったかを考えがち
私事ですが、人間関係にとてもとても悩んでいた時期は
「あんなこと言わなければ・・・」
「もしかしたら、あの言葉がよくなかったのかも・・」
という
何を言ったか?
ということに対してグルグルと悩んでいました。今振り返れば人間関係は、
何を言うかより、誰が言うか
実はそういう場面がとても多いことに気がつきました。
ひとは、一人では「人」であり、人と人が対峙することで「間」が生まれ、人間になる
ひとは一人では「人」でしかなく、人と人の間が生まれることで「人間」になる
引用元は忘れましたが、印象に残った言葉でした。
なぜ、「じんかん」と書いて「人間」なのか?ということを的確に表現していて、好きな言葉です。
人と人には「間(ま)」があり、
「間(ま)」があるからこそ、人間なのだ。
とも言えます。
親子や夫婦でも、肉体や精神的な距離が近いと、争いごとやいがみ合うことも少なくありません。親元を離れ、親との距離が生まれたことで、親との関係がちょうどいい距離になったという話はよく聞きます。
ポイントはやはり「間(ま)」なのだと40代を越えて、ヒシヒシと感じます。
私は、誰かと会う時間もとても好きですが、一人の時間も同じぐらい好きです。そこには「次に会うまでの間」があるから、次に会うときに、
あれから、どうしてた?
と、再会を楽しみにすることができます。
人と仲良くなるということは、お互いにとって心地よい「間」をいかに楽しめる関係か?ということなのかもしれません。
会話と会話の沈黙も「間」ですし、その沈黙も心地よく感じられると最高ですね。
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人間関係の地縛霊にならない
これは自戒でもありますが、過去「あれは精神的、地縛霊だったな~・・」と思う時期がありました。いつまでも過ぎ去ったことに囚われて、
あんなことしなければ
こんなこと言わなければ
あの人がああだったから
と、何度も何度も思い出しては腹を立て。いつまでも感情の呪縛から動けない。まさに、その場所に縛られた地縛霊的な感じでした(笑)今、振り返れば、人間関係はお互い様。お互いの距離感や、価値観の侵害があった。
今、この瞬間から気を付ける!
失敗したら、はいはい!次々!
と、頭を切り替え、次に何をするかに頭と感情を動かし、その場に止まりません。
武術の達人 「間合いを読む」
- どのタイミングで攻撃をするか?
- どれぐらいの距離を保ち、相手に攻撃をさせないか?
- どこのポジションを取ることが、相手を威圧することができるか?
- どういう間を入れると相手を油断させることができるか?
武術で「間」は、攻撃や守備・そして対戦相手へ戦術などのハッタリ(精神的プレッシャー)。人間関係で言うと、
- どのタイミングで声をかけるか?
- どれぐらいの期間、離れているとよいのか?
- 他人の問題に対して距離を保ち、自分の問題へと飛び火させない。
- 自分の得意な分野やできることで、どう社会と関わっていけるか?
- 関心を持ちながらも、無関心でいるよう振るまう
など、人間関係の距離(間)を考える。
自分自身においても「間」がある。自分の間合いを知ることで、他者の間合いも知る。
自分に対しては「精神」と「肉体」にも間があります。
肉体的には元気でも、心が疲弊し過ぎて動けない。もしくは、心は元気でも肉体の疲労が限界ということもあります。適度に体と心の声を聴きながら、間を調整する。自分の心と体に距離があることを知ると、他者と距離があることは怖くなくなります。
間合いで言えば、私自身はまだまだ白帯レベルですが(笑)自分や家族などの周囲の人にとって良い間合いの取れる人間になれたらと思います。
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