今朝は、お店で百合の花を買ってきて、仕事用の机に飾っています。
今週は雨続きで「何だか頭が冴えないな…」と感じるところがあり、百合の花の凛とした花の香りに目を覚まし、今日を過ごしています。花一輪なのですが
「これぐらいの小さなことで、やる気がでる私はお安いな…。」
なんて、思いつつ。今日は【満足のハードル】についてです。
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やる気が起こらないことは悪いこと?
片付けをやっていると、ご相談として、
- 行動をなかなか起こせない
- モチベーションを維持できない
というと相談を受けます。
そして、私は一昨年、昨年は講師業で全国を回りましたが、講師として私自身も【講座へ来て、満足されて、その後行動されていない方々】のことを気に掛けていた部分がありました。
「どうしたら、困りが解消できるのだろうか?」
口々に「片づけられなくて困ってます。」と、相談されると、私自身も「力になりたい。」とは思うのですが、結局のところ困っている本人が行動するかどうか?が肝です。先日、美濃羽まゆみさんを取材させていただきました。
【好きを暮らしに】洋服作家・手作り暮らし研究家 美濃羽まゆみさんの『お金と選択』
美濃羽さんも動画の中で「本を読んで、満足して行動を起こさない。」ということについて言及されていました。講師や指導的な立場に立つと、それは【良くないこと】【悪いこと】として捉えがちです。
ぐるりと見方を変えてみる
しかし一方で、
【満足する】
ということ自体は、悪なのでしょうか?
「こうなったらいいのに。」という願望に対して「満足できた。」というのは、ある種のゴールの達成です。体で言えば、【お腹がすいた→満腹】という状態ですので、決して悪いとは言えないように思います。
満足のハードル
私自身「何か調子悪いなぁ…」
というときは、大体掃除したり、家を片付けることで解消されます。心の悩みや不平不満は、誰かに愚痴をずっと聞いてもらったり、カウンセリングなどを受けなくても、一心不乱に手を動かすだけで満足します。
そういう意味では私の悩みや満足のハードルは、すごーく低いです。
食に関しても、多少、味音痴ですのでレトルトでしょうが何でもある程度「美味しいなぁ…」と感じます。それは、それで悩みが少ない。
そう思うと、実は「片づけたい!」と悩んでいても、本を読んだり、誰かの講座へ足を運び、情報に触れる時間を過ごすだけで心が落ち着くのならば、それはそれで有意義な時間なのかなぁ…と思いました。
最終的に行きつくところは「満足すること」
洗脳ではありませんが、私たちは無意識のうちに
「何かできるようにならなきゃいけない。」
「何かしなければ、いけない。」
という【行動しなければいけない】いけないという囚われ…が、あるのかな?と感じました。講師業や指導的な『先生』や、もしくは親。誰かに何かを教える立場に置かれると、なおさらです。
結局「理想通りに家を片付けられるようになって、どうなりたいか?」の出口は、「満足すること」なのではないでしょうか。
自分の満足のゴール
ですので、決して「本を読んで満足して、やらない。」は悪いことではなく。それで満足できるなら「私は部屋を片付けたいのではなく、片付けの本を読むことが大好き。」と、自分自身を肯定すること。ここが重要ではないでしょうか。
誰かのゴールに標準を合わせると、「これじゃ、ダメだ。」と否定し自分を責め続けます。大事なことは自分のゴール。
ですので本当の悩みは、
「部屋を片付けなければ…。」ではなく「今の自分ではダメだ。」「とにかく、何かしなければならない。」という囚われ。
なのかもしれません。
私自身も日々の小さなモヤモヤ…。花を種から育てられるようになれたら素敵だなぁ…とは思いますが、時々一輪買い、窓辺に飾る程度十分満足です。誰かのゴールではなく、自分のゴールを改めて見つめてみる。それも思考の整理です。自分の満足について、考えてみると気持ちが楽になります。
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