暮らしをおくる上で「物は、必要最低限あればいい。」と考えていますが、人生を振り返ったときに「何もなかった。」と感じる時間の過ごし方は怖いな…と日々思います。
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30代の頃、「何にもない。」が怖かった。
ここ1,2週間ブログもYouTubeも更新を止め。のんびりと体を休めたり本を本読んだり、家を片付けたりして過ごしています。最近、読んだ本が漫画家の東村アキコ先生の「東京タラレバ娘 シーズン2」でした(笑)その中の物語のやり取りの中に、異性との会話の中に【私という人間】を突き付けられるというシーンがありました。
画像引用元:東村アキコ著『東京タラレバ娘 シーズン2』2巻より
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10~20代の間は、昨日見たテレビやニュースなど今の話題について話せば会話のノリでごまかせるけれど、30代以降は『私はどういう人生を歩んできたか。』ということが隠し切れない年齢になってきます。
私自身も30代になってすぐの頃でしたが、ぼんやりと日々が流れていく日常の中に【なんにもない自分】に漠然とした怖さを感じた時期がありました。
ただ、流れに流されて月日が過ぎ。子育てが終わり、45歳になったときに
「やまぐちさんは、何をしてきた人なの?」
と問われたとき、何も答えられない自分。「私って45年間…何もしてこなかった。」と、自分が自分に突き付ける瞬間が、
今のままではやって来るぞ…。
ということが、とにかく怖かったのを覚えています。
1,2年という単位ではなく、45年という歳月はえげつないと言いますか。何もしないことは、別に日々を過ごすことに何の支障もないのです。…が、年月が過ぎ去り、振り返ったとき【45年】という数字に愕然とする自分を想像し、怖かったです。
所有品という物では隠し切れない
画像引用元:東村アキコ著 『東京タラレバ娘 シーズン2』2巻より
どんなに着飾ったところで、会話な中に滲み出る【自分の中身のなさ】は隠し切れず。そこにコンプレックスを感じながらも「何をしていいかもよく分からない。」と悩んだことを思い出しました。
他人からの評価が怖いというより、他人と対峙したときに【自分の中身のなさが、自分の中で露わになる】という状態。
自分一人や自分と似たもの同士のコミュニティ―の中で過ごせば気にならないことでも、自分と違う他者との触れ合いの中で嫌でも間の当たりにする見たくない自分に出会いたくない…。
自分に出会うことが怖い。
そんな感覚です。
「他人を気にしない。」とは、ある意味強者の理論なのかもしれない
「他人を気にするな。」
という言葉は、とてもシンプルです。しかしそれは【他人を気にしなくていい自分だけの何かを持っている人の理論】ではないかとも思います。私自身も容姿の美しい方の隣に立てば「うわぁ~…、私の醜女感が出るなぁ。」と気になります(笑)
「え?嘘、何それ?
私それ、持ってない。」と。
普段は気に留めることが無くても、自分の持っていない物を持つ人が隣に立ったとき…嫌でもそれを突き付けられる瞬間はあります。
そんなときに「この人は、これが素晴らしい。私は、これが素晴らしい。」
と、思える何かがあればその劣等感を打つ消す武器になりうると思うのですが、自分が自分に対して「私は、これが素晴らしい。」と思うものがないとき…他者の眩しい光が自分自身の暗い影を大きく伸ばしもします。
「他人を気にするな。」
という言葉の中には、どこか強者の理論であり、持たざる弱者にはその言葉すら、やわらかい刃として突き刺さる感覚を覚えます。
私は、無価値・無意味ということより【何もやらなかった】が怖い。
私の過去の記事を遡っていただけると分かりますが、実は結構色々な物は買い、挑戦し、失敗を繰り返しています。
- 自宅での片付け講座開催のためのテーブルや座布団
- 地域イベントへの出店のための看板やテント
- お片付けサポートで使用するための収納道具や仕事用の鞄類
- ブログやYouTubeに使う撮影機材
暮らしのために買った物というより、何かに挑戦するために買って手放した物。挑戦した結果、これは合うけどこれはダメだった…。私の近年の【買い手放し】は、【挑戦し、手放し】た足跡でした。
人生が絵にかいたようなドラマティックな方なんてほんの一握りでしょうし、多くの方は凡庸で私もその一人です。むしろ人生の中で『何かある人生』というのは稀でしょうし、無価値であるかや、意味がなかった…などは誰も判断しようがないことなので悩んでも仕方がないことでもあります。
私が怖いのは、価値や意味のあるなしではなく「長い年月生きたけど、何もやらなかった。やってこなかった。」という事実です。
「何もしなかった。」のか「何もできなかった」のか?人生の棚卸。
今、コロナウイルスなどで小中高校などの一斉休校の事態になり、日中の子供の世話などによりお仕事を抱えている女性が仕事ができない状況なども生まれています。
やりたいことがあっても状況が許さないということは往々にありますし、
「やりたいことがあっても、ことあるごとに取り上げられた。」
という経験を積み重ねると「どうせ、できなくなる。やっても無駄。」と諦め癖もついてきます。私自身も一時期、諦め癖がつき
「私は何も悪くないのに、いつも何かに私のやりたいことは取り上げられる。」
といった怒りや恨みに似た感情が強い時期もありました。
そうなってくると常に心の中は怒りに支配されますし、目が曇ってしまい、本来はできることも【できないに決まってる!】と諦め怒り続ける…という負のループに入ります。
歳を重ねるということは、そうやって諦めてきたことが未来への重しになることも増えて来るので、10代の頃の無邪気さとは違った人生の棚卸と整理が必要になります。
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下手であれ
過去記事ですが、下記の内容は常に私の行動の原理として働いています。
YouTubeにしても、動画編集について学んだわけでもありません。カメラもど素人。
ブログも文章を書くスキルが必要ですが、未だに文章は下手くそで【てにをは】も日本語も怪しい(笑)イベントの主催・講座講師業・片付け…全ては下手のど素人状態で飛び込んでいます。
私の場合は、上司等がいないので【正解がない】という状態が逆に【下手であっても、その時、その時に尽くしたベストが正解】という緩さが良かったです。
バカにされても挑戦者であれ
東村アキコ先生のタラレバを読みながら「そうそう…他人を通して自分に【なにもない】って尽きるけられるのってキツイよね…。」と思い出しました。
息子が来年一人暮らし開始という時期もあり…。今の10~20代の方にとっては【ミニマリスト】というライフスタイルは、確実にライフハックとして有効だと思う反面…物を買うことを極端に恐れ過ぎて、ガランとした部屋と同じように自分自身の人生を振り返ったときに
「私の人生、何もなかった。」
とは思って欲しくないなと思い記事にしました。
肝心なことは、人生の主役は自分自身なのだから、自分の物語をつまらないものにせず楽しんで欲しいと老婆心ながら願います。
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